lunedì 26 gennaio 2009

PRESIDENT OBAMA がコタツで考え事




NO COMMENTO !!














Elmar Burchia記者

2009年1月25日付   Corriere della Seraのサイトより 
(米国でオバマ大統領のフィギュアートーイ販売)




giovedì 22 gennaio 2009

VISUAL INFORMATION  ヴィジュアル情報


La Nuit des Images 展

Paris Gran Parais で Video Artsインスタレーションがありました。Visual design、ヴィジュアル情報、映像操作にとても興味があるので視覚関係のクリエイテイヴな表現にはヴィデオアートも欠かせない、そこですごく寒い夜でしたが出かけてきました。

上は会場であるグランパレの外観に様々な言葉が映写されていきます、Manifesto"Proclamacion Solemne"で Charles Candisonの作品。歴史的館に映るヨーロッパ憲章の文字インスタレーションが私にはアンバランスなおかしさ面白さを感じます。

    
グランパレの広大な会場に丁度ふさわしい作品群、今では古くなった表現もありますが、それなりの短い歴史が感じられました。「アーこんなイメージ表現の時があったなー」の連発。

私にとって面白かったのは下のData,tron[prototype ] と言う Ryoji Ikedaの作品、コンピューター情報大河の流れに人間が立つと顔面やボデイにコンピューターデータpixelイメージの拡大数字がどんどん流れて行くのが皮肉がきいてておかしい。これなど今の我々の世界そのものだな〜 そんなでちょっと怖くなる。「あれっ紙も残しておかないと〜」と心が叫ぶ、あと百年後に歴史がひん曲がって伝わったりしちゃうかも、私達が使うコンピューター情報処理等おおもとは米国の機関が全て把握管理してるし、、、大丈夫かな〜と心配になってきた。


Claudio Parmiggiani 展 
下はCollège des Bernardins修道院にて Arte Visiva Contemporanea


会場であるこの修道院がパリ市長のかけ声で修復が終了、とてもよく出来上がっていました。きれいになったのを見学がてらイタリア人のアーティストParmiggianiパルミジャーニ(1943年 Luzzara-Reggio Emilia 生れ)のインスタレーションを見てきました。一目瞭然的レアーレ次元で言えばそろそろこの崩れたガラス" Labirinto "1970年の作品がクラッシックの分類に入ってもいい頃です。ところでガラスの迷宮の崩壊はずーと継続していましたが、そろそろ何とかならないんでしょうか、2009年のガラスの館の本来の使命遂行、活躍に期待しましょう。

この作品を見ながら、アートとポリテイカルの関係などを思い、ちょっと考えこんでしまいました。そしてふっと9年前に自殺というか殺された、あるアーテイストに思いを馳せました。 Mark Lombardi (1952-2000)という" Conspiracy " Artを表現する米国の芸術家で多分イタリア系。表現方法は直弾劾作品そのもの、アーテイストというのかジャーナリストと見た方がいいのか迷うくらい。下にサイトを載せておきますが、彼が参考にした本のリストを見るとこれはホンマ怖い、殺されない方が不思議、、でも何でこんな恐怖政治の世紀に逆戻りしたんでしょう....
http://www.pierogi2000.com/flatfile/lombardibibliography.html

ひょっとして米国とイスラエルは欠けている己の中世を生きているのかな? ヨーロッパ や日本では過ぎ去った闇の戦国時代を、、新 OBAMA 大統領はこの米国の恐怖中世を終わりに出来るかな? でもまだ実質中世みたいなアラブ諸国が問題を複雑にしている、、二つに分断されているけど何か似ているところも、どっちも怖い世界、、本当に人間らしい世の中を愛して探して表現した人が殺されていく。

年末から2009年の新年は世界のヴィジュアル情報 TV NEWS 放映仕様を見て比較していました。 GAZA の侵攻戦の最中でヨーロッパ、アルジャジーラとその英語国際版をはじめモロッコ2局、チュニジア、アルジェリア、エジプト、シリア、イスラエル2局、トルコ、ロシア、東欧、アゼルバイジャン、ベトナム、中国等々のTVニュースをあちこちザッピングしてガザ情報の映像比較をしながら単純な視点で、もっともアラブ語、ヘブライ語等全く分からないので画像処理のみじーと見ていたに過ぎません。ただ私の家のテレビには日本のTV局は入って無いこれがいまいち、衛星放送の広告はくるけど、そんな中で色々新しい発見もありました。

透けて見えてきた結果をここに書く事は難しいので(すいません)ヒントのみ、必ず全てを疑ってびっくりする様な事をマジに考える、、でした。


sabato 17 gennaio 2009

GUERRA DEL GOLFO   湾岸戦争勃発


1991年1月17日
Bombardamento a Bagdad
foto dalla La Repubblica


今日は17日、18年前の今夜 連合軍がイラクの首都 Bagdad 爆撃開始。 「インテリジェンス爆弾」と言われましたが米軍の誤射爆撃による死者は多数(i morti per fuoco amico 25%)、砂漠の楯、砂漠の嵐作戦等の空襲映像が続きました。

Bomba l'operazione Tempesta nel Desert ( Desert Storm )
以下湾岸戦争の出演者達   

Bush e Colin Powell      
 Saddam Hussein        Terek Aziz

 


国連が定めた撤退期限最終日1月15日が過ぎ17日の夜とうとうバクダッド空襲の開幕。TV CNNのArnet によるスクープ画面は緑色、花火の如き空爆、劣化ウランミサイルその他の化学新兵器使用の爆撃。中央軍司令官シュワルツコフは会戦前にハンニバル戦記を熟読して意外な方向からの攻撃を応用したとか。まあ新兵器販売見本市並と後日言われた空襲
注目したいのはこの湾岸戦争中の空爆のハードではなく、私には全く分からないし、面白いとも思えないので略。それより広報やP.R 関係の仕事をしていたせいかつい見る角度が報道情報の操作テクニックに興味が集中してしまいます。戦争は視覚情報報道操作の力とコントロール権力分布図や国民感情は何重にも複雑な厚い階層になっているのが、普段は邪魔されて見えなかったタバコの煙がフット消えて突然何かがはっきり見えてくる作用がある様で  それぞれの破片というか事実のパズルを出し揃えて見えなかった
全体図に辿り着く機会が降ってきた。

世界を戦争Yes戦争No ふたつに分断へ大成功,この地球規模の政治メデイア操作戦略に対して何が出来るか? 現実には巨大過ぎる、、、

手強い相手なのでとことん説得術法をとり意見を本や英論文で発表したり歴史観、哲学、経済学、科学、歴史心理学等全てを使ってお互いしっかり討論し合う必要があります。まあ何も出来ない普通の人間である弱い私達はせめて目と耳その他を駆使して一般公開情報から何かを掴み出して考える資料にしていくしかない。もともと私は疑り深い方なので全ての情報を頭から疑ってかかる、注意しながらどれが自分にとって事実に近いか探し出す、フー大変。ニュースソースは何処から?バックの投資スポンサーは?けっこう時間がかかる。怪しいと疑いながら捏造画像かコラージュ編集(撮影場所、状況は同じでも撮った日時が異なるとか)を見わける、偽物が見つかるとけっこう嬉しいものです。この湾岸戦争では石油に汚れた海鳥の例がありました。情報の扱い方、どう話すか、どう書くか、映像ならどんな焦点とアングル、カット等と多数のバリエーションが発生。あれこれ進むうちに何処の国、政党、Media、人物がどっちよりとか、けっこうはっきりひょっこり浮き出てきます。テクニック度でその国の政治傾向や経済文化水準まで判断可能。
同じ国で正反対のニュースも沢山、国の民主化段階ランキングに役立つ。

戦争パワーは軍事力、経済力だけではない別の要素も必要なのがはっきりしてきます、この欠けてる要素の部分が大きいのが日本、だから戦争は出来ない。たとえば(変な例ですいません)ある国がミサイルの誘導ミス工作で味方の国民を虐殺、これを日本のせいにされた場合、ジャジャーン ! きっぱり白と弁解し強く明白な証拠で世界に抗議する政治外交能力とメデイアパワーが必要、出来るかな?逆に日本のメデイアなどは「そうかな、そうだ日本側のミスかも」とか言い出しかねない、で、結論はまだちゃんと成熟してない事。自分から不利なカードを公開する国は失格。それこそ濡れ衣の着せ替え人形役にさせられそう。国は政治戦略以外にニュースも1つの出来事を消すか薄くさせる為に他のニュースを濃くする、他に目を移させてその間にさーっと済ませるとかまるで忍法なみ。

各国の政治背景と国民感情が深い重層になっていく時代の始まりでした

この湾岸戦争の後は何年も色々な議論が展開しました、厚顔で正々堂々とした偽善論、言い訳のとびきり上手な例、詭弁、様々な映像も出しあってまるで知恵合戦みたい。邪悪なものは結局ばれる「ほれみろ」とか思いますが、いずれにしろもしもの時用、自分の心の予行訓練。

人を殺したくない戦争が嫌いで反対な人間に残された武器は知力しかない、あちこちの情報を集めて比較しつつ行き方や対策を探し出さなくては、
いでに遺書も書いとこ、しかたない、でも子供を殺さなくてすむ。

mercoledì 7 gennaio 2009

GIORNALISTI ITALIANI; FORTI & INTERESSANTI イタリアのジャーナリストは強くて面白い



Tempo Reale : Nuovi giornalisti italiani coraggiosi

イタリアの勇敢なジャーナリスト達が命がけで書いた本
沢山ある本のどれかが日本で翻訳される事を願って。


Marco Travaglio            Ferruccio Pinotti

        


年月が過ぎて、テンポレアーレに新しい年が訪れたように、イタリアに新しい若い勇ましいジャーナリストが育っています。 Montanelli, Biagi, Curzi と次々に素晴らしいジャーナリストが別れをつげ亡くなって少し寂しく思っていたところでしたが、なんとまだまだ反抗心旺盛な刀の代わりにペンを持った若武者達がいました。安心です、イタリアも少しづつ良くなっていく。

Marco Travaglio記者は政治家にそれも首相近辺と猛然と戦っています。ベッルスコーニ首相の側近 Dell'Utri を名指しでマフィアと弾劾しているので、命がけだなと感心しています。メディアにしょっちゅう出ている方が庶民が見守ってくれてかえって安全なのかな。Michele Santoro のTVトークショウ番組 " ANNO ZERO " に彼マルコ トラヴァリヨが一緒に出て毎回爆弾宣言落としています。マルコが調査確認の為に「千頁あるこの政治裁判判決書を読んだ結果,確認できた、」と言っていましたがスタジオの人達は千ページと聞いてウォーと唸っていました。頭脳明晰で記憶力抜群、おまけに正義の味方、たのもしいかぎりです。著書は他に「La scomparsa dei fatti」「Onorevoli Wanted」「Le Mille Balle Blu」「Inciucio」 「Berluscomiche」「Montanelli e il Cavaliere」 「Amico degli amici」等があります。

Ferruccio Pinotti記者は困難なイタリアの各界の難点を探って弾劾していきます。政治家、財界、司法界、教皇庁、l'Opus Deiオプスデイ、伊ロッジァ マッソネリア(フリーメイソン)P2、犯罪組織への調査も蓄積されて、言っては危険な事柄を堂々とTVで話します。彼フェルッチョが自書紹介で12月9日と10日にCorrado Augias のトーク番組" Le Storie "に招待され出演していたのを見ましたが、現政治家や巨大組織への批判等 怖くないのかな〜とTVの前でひやひやしながら二人の会話を聞いていたくらいです。著書は他に「Fratello d'Italia」「Potere Forti 」「Opus Dei segreta」「Olocausto Bianco 」等があります。

イタリアは大学進学率は高くなく、かつ政治、司法や医学学科を専攻する若者は良い家の環境の人なので、必然的に政治家、弁護士、判事や医者はその視点の基準はあまり庶民的では無い。まあ個人差や貧富差が激しいイタリア人の庶民度の基準を何処に決めるか難しい点ですが、よく言われる馬に乗ったまま玄関に入れる館を持つ階級がまだまだ残っている。大きな家と庭園を持って金と教養がパラレルに一致して、おまけに何故か顔まで上品だったりする単純さがある。(フランスは顔があまり良いと何となく疑われ教養が無いと思われるので正反対なのが可笑しい)。イタリア南部には家に家具などはしっかりあっても本がない家庭も結構ある。

イタリア社会は何の組織も不完全ぽい、非能率的で機能してるのかな〜?と疑っちゃう不思議な世界が伊司法界。裁判が常識的な時間期間内で終わったためしが無い、犯罪容疑者がすぐ開放される為のシステムなのかなと疑いたくなる。何時も犯罪に日本人が巻き込まれない様にと祈っていました。観光、グルメ、芸術、ファション、デザイン等の表側と反比例して問題点が多い不平等な社会組織です。万年慢性的に若者の為の仕事が無く推薦状が顔をきかすコネ社会、過去に若い人の仕事が満足にあったためしが無い。いい例はRAIの廊下を歩くと、各室の名札は見た事ある姓ばかり(要するに有名人の2世)と言われていたが、今も変わりばえしない。知人がいるいないで若者の人生が決まる、全く能力は別問題、今時ちょっと異常。

日本は2009年は不景気嵐が吹いているが、これと同じ状況がイタリアでは何十年いや戦後からずーと継続している。若者は万年職探しで疲れきっている、もっとも英国も負けてない若者の職は昔っから無かった。フランスは技能や資格を習得してもらおうと国が努力しているが仕事の無さでは似たりよったり、今もっとひどいのはスペインかも。しかしおとなしく若者達は忍耐強く良く生きて来た。

私は日本でしょっちゅう見かけた「求むアルバイト」の看板 カッフェ、レストラン、ショップ等あのバイト少しイタリアの若者にも振り分けてくれないかな〜と思った事がよくあった。特に南部の若者達は喜ぶだろうに、、高学歴でも1年位日本に行きたいと思う人は伊全国にもごまんといる、当座就職先の無い人達特に先発ヨーロッパ(初期欧州圏)の若者なら安全だ。欧州は決して自分から口にしない、米国はそれを知っていたので右手に「 JOB JOB 探しをお手伝いします」とか言って宣伝しながらグウァーと近ずいてキスを狙っていた、もっとも左手に何を持っているのかは不明。南部ではエアバスをけちらすようにボーイングの一部を製造させている。日本はアジア人支援の方が先なのかな?近所の事ばかり気にしている、近所ずきあいも大事だけど遠い友達も大事にして対話して欲しいな、、

政治の悪さ、社会組織の悪さに怒れる若いジャーナリスト達が細胞交換し大活躍、新しい新鮮な空気がいっぱいになって頼もしい、、 イタリアもじょじょに変化していきます


martedì 6 gennaio 2009

RAGAZZA DI GAZA    ガザの乙女へ

  Requiem per la ragazza di Gaza

 すぐ後ろの治療室に入る事もなく床の上に寝かされた幼女の姿、看護夫が咽元を押さえ脈の反応を調べ血に汚れたポニーテールの頭を左右に動かしてみる、反応が無いと確認してそのまま打ち捨てていく。死んだ少女は独りで横たわっている、彼女を誰も助ける事が出来なかった、卑劣な大人達の犠牲になって又幼い子供達が殺されていく、、何年も、何十年も、何百年も、何千年もくりかえす人間の蛮行、、、

GAZAの小女へ、、



愚かな大人達は見事に出来上がった工作図を見ながら計算をしている、そうもう少し味方の死体が必要と判断し、ロケット弾を命中させる様に細工する、仲間の血を使ういつもの手で、そこで又虐げられた民族の哀悼劇が始まる、この死人達には御利益が多いので世界中から同情があつまる、大きな戦の始まりだろうか、、、そして時が流れ何時か立場が逆転したら、、その時恐怖と共に思い起して今日の日を、、もう遅いその時は助けてくれる人は残っていないかも、、何故です、、何故、、同じ道を辿る用意をするのですか、、半世紀以前に経験した事なのに、、どこかがおかしいと思った事はないのですか、、世の人々は国を持つ資格を問い始めるでしょう、、慣れないからと世界は待ってくれた、、でももう憶えなければいけない時です、、 そうコントロールの力は強い賢いでも時間は待ってくれない、、急いで銃を捨てて、、他にしなければならない事が沢山あるでしょう、、計算は終りにして、、、新しい世造りが待ってます、、急がないと、

エルファラのサイトより、ガザの現実。
http://www.elfarra.org/gallery/gaza.htm#

忘れられたGAZAの乙女へ、、あなたのために泣いている人たちが大勢いる事を天使に伝えましょう、、けっして無駄に死んだのでは無い事を、、、 弱い私達の思いを伝えよう、、