martedì 29 dicembre 2009

ORTIGIA TO PARIS  ただいま〜

『ただいまぁ〜』パリの我が家に帰ったよぉ〜 ritorno a Paris, casa mia
                              
questo è il cielo di Paris                     
パリの空

フギャーこれが家に帰って来て見たパリの空、シチリアの青空とどーしてこう違うんだろ〜
おまけに23°の島から2°の大都会 Parisで
寒い〜 。Ortigiaでは太陽の下で日焼け中。
CDG空港にオーバーを持って出迎えてくれたけど、ホント冷え込みます⁂                     



                       mio cicramino
 
 
    我家のシクラメン花咲く
バルコニーにおいてあったシクラメンが見事に咲いて大感激、と言うのは一度全て死に絶えたかと、もうダメかと思っていたら、、やはり奇跡はあるのだな〜 (なんちゃってシクラメンは冬に強いのだ、、) 沢山家族がふえちゃって、すあわせそ〜♪ ♫               


              


funghi neri funghi gialli funghi bianchi

家の近くRue Daguerre の八百屋のおっちゃんがなつかしげに挨拶してくれる、店にはフランス人がよく食べる色々な種類のシャンピニオンが沢山並んで(白、黒、黄色 これ全て きのこ)


                    
サンミシェルまで散歩
S.Micheleに挨拶
   










Rue de Seineまで散歩の続きそこで見た さて これは何でしょう? ??

         

これは古本屋のウインドウーじゃないのだ、写真は携帯で撮っているので focus が悪くガラスに反射した向かいの家が映ってしまいましたが、この古色蒼然とした古本とか懐中時計やメガネ、板まで油絵です。(今時んま〜 、、とか思ってつい笑いたくなりますが、、)笑ってはいけませんよね、、 真面目に感心しましょう、、師走ですから。(関係ないかな)

しばらくぶりに娘と一緒に楽しいクリスマスとお正月をパリで過ごします。

みな様にステキな年がくる事を祈ってます。

giovedì 24 dicembre 2009

ETNA E FUJISAN   エトナ と 富士山

B U O N E  F E S T E !!    B U O N  N A T A L E !!

ETNA   ANNEVATO


今年2009年のクスマスイブ24日はエトナ山の上空を飛びました、とても奇麗なのであわてて携帯でシャカッ。頂上の雪を見ながら何故か富士山によく似てるので「あれー」と思い、おまけにこぶがあるのまで同じなので驚き。ちなみにエトナは高さ3340メートルあり、これも噴火の状況で変化するとかで、こうなると高さまで似てます、ただエトナは今も火を噴いている最中のすごい噴火山です。昔私の住んでいた町のイタリア人主治医がエトナに登山にいってあまりにも噴火口に近過ぎ溶岩をあびて死亡した事があり、当時あきれるやら、と同時に噴火ってほんとうに怖いんだなーと感じました。

ORTIGIA の星


これはシチリアのオルテイジャ島の夕焼けです、、とても美しいクリスマス

今年も皆様にとって良いクリスマスで家族と楽しくお友達と仲良くプレゼント交換して下さい、イタリア式に「クリスマスは家族と一緒に」そして「お正月や復活祭は好きな様に」とよく言われていますが、、

では " NATALE CON I TUOI " でいきましょうか、、

もともと無宗教な私にはもう好きな法王はいないので宗教的な儀式には興味が湧きません。心の中で GIOVANNI PAOLO II に話しかける事にしようと思います。 

venerdì 18 dicembre 2009

GUERRA DEL GOLFO-AMORE E ODIO 愛と憎悪     

IGOR MAN JENNIFER JONES 死亡ニュース

このブログのモチーフである20年前の状況をメモ書きしていると、ピョコンと目の前のニュースに私が書こうとしている同じ人物が出て来る時がよくある。

IGOR MAN イゴール マン(9/10/1922 - 16/12/2009)

今回も湾岸戦争当時私がよく見て参考にしていたRAI TV深夜トーク番組の話しをしようと用意していたらこの番組のメンバー PAOLO GARIMBERTI と共にイラク国内、サダムの政権解説や湾岸戦争是非論争をしていたジャーナリストで中東アラブ問題に詳しい IGOR MAN ( 本名 IGOR MANLIO MANZELLA ) が18日に87歳で死亡のニュースが流れてきました。

Vatican Archivio の中にある Jubilaeum DD2000 のTERTIUM MILLENNIUMにあった彼の記事GESU CRISTO Il volto dell'innocente negli orrori delle guerreより一部抜粋しました。

Convinto, come sono, che nessuna guerra sia "giusta"
anche se qualcuna è imprescindibile...

どんな戦争も正しいものなどは無いと確信している
(略)
Una volta la società accettava la guerra "perché la guerra risolve". A quelli della mia generazione insegnavano che la guerra era un "male necessario". Oggi è diverso.
昔「戦争で解決する」と社会は戦争を認めていた。私の世代には戦争は「必要悪」と教えられてきた。今は違う。
Mi dice un Cardinale-Pastore, oggi tutti hanno capito che la guerra non risolve nulla, dà solamente la medesima illusione dell'intervento chirurgico su un organismo mitragliato dalle metastasi d'un tumore cattivo. «La pace, invece, fermando la corsa della morte, salva la vita, dona la speranza della giustizia».

(略)
Già, l'Iraq. 15 di febbraio del 1991: alla Tv di Amman lo speaker piange. Passano sul video le immagini della strage nel bunker "non intelligente" centrato da una implacabile "bomba intelligente".
既に1991年2月15日、アンマンのTV解説者は泣いていた。Video にはバンカー防空壕内に落下した " bomba intelligente 利口な爆弾 "と言われた " non intelligente 馬鹿爆弾 " の爆撃惨殺の映像が流れていた。 

"E' un crimine contro l'umanità, hanno colpito un rifugio con centinaia di donne e di bambini. Fermate il genocidio", singhiozza il conduttore. E' il telegiornale delle ore 19, il più seguito al di qua e al di là del Giordano.
「人類に対する犯罪だ、避難していた何百人という女子供が殺された。虐殺を中止してくれ」ニュース解説者はしゃくりあげて泣いている。ヨルダンのむこうとこっちで一番皆が見ている19時のテレビニュースである。
La guerra pressoché senza immagini ha ora un'immagine antica: la morte degli innocenti.
(略)
...................., la cultura della guerra è morta col Vietnam.
 
「戦争文化はヴトナムと共に死んだ」私が強く印象に残っているのは彼のこの言葉です、そうヴェトナム戦争以後、世界の歴史上にあった戦争という定義が消えてしまったのです、その後は単なる戦略上の捏造戦争にすぎません。この事はイゴール マン以外にも今のイタリアジャーナリスト達は気がついています。

彼はLa Stampa の編集長を長く勤め、又インタビューの難しい人々 SADDAM HUSSEIN や KHOMEINI 等に会って話しを聞いている。著書も多く1992年には DIARIO ARABOを出しました。  


AMORE E ODIO 愛 と 憎悪 - Guerra del Golfo & Cinema

JENNIFER  JONES ( 2/03/1919 - 17/12/2009 )

2009年12月17日に女優のジェニファー ジョーンズ(本名 Phylis Lee Isley )が高齢で死亡のニュース。もっとも女優よりこの映画のモチーフが私にとって重要なのです。彼女が出演した映画「白昼の決闘」1992年にTVで放映されていたので、丁度来年の予定「愛と憎悪」のあたりで入れるつもりでしたが、追悼の意を表しここに載せます。

DUELLO AL SOLE 1946年度作品 KING VIDOR 監督 プロデユースDavid O. Selznick

http://www.youtube.com/watch?v=DbK_9GpS3_U&feature=related


出演者 Gregory Peck, Joseph Cotten

dall'articolo critico paker
La storia di erotismo tormentato, di odio e amore dei due protagonisti riesce a superare la morale dell'epoca (e di oggi).
E' giustamente famoso il fiammeggiante finale. Impressionante non tanto per la risoluzione estrema del conflitto passionale che ha animato il film, quanto per la sapienza della messa in scena di una sequenza che dovrà riassumere un film comunicando elementi in forte contrasto.

In ogni inquadratura e in ogni scelta si respira odio e amore.
全てそれぞれのシーン、アングル毎に愛と憎悪が息ずいている。

一度DVDで懐かしい往年の俳優達を再度見て下され「そうですね グレゴリー ペック若くて ハンサムでしたね〜 最後は J.J の黒シャツ姿がセクシーですね〜 ラストシーンいいですね〜 はい さよなら さよなら、、、」と
にぎにぎ。淀川氏も亡くなりましたね 残念ですねェ〜

mercoledì 25 novembre 2009

GUERRA DEL GOLFO   湾岸戦争考

湾岸戦争とは? 何の為に?

1991年代の湾岸戦争は非常に沢山の課題を世界にそして日本に投げかけました、特にメディア情報操作、捏造、米国政府広報の総力を投じての攻撃はそれはすごい物で大いに情報リテラシー研究ができましたが、でも何故?

私には何故こんなにも日本を集中攻撃する必要があるのか?と疑問が浮き上がって来たのも確かでした。そしてネオコン勢力が台頭する時期にもなりました、、

他国のメディアもイタリアメディアを見ているうちに米国の態度が少しおかしいと気ずき始めます。

湾岸戦争時、ミラノで働いていた私は米国政府の変態的な異常な態度にあきれ果て、何だか毎日とっても疲れました。ついには丁度道の途中にあった米国領事館をさけて勤務していた会社に通い始めたものです。日本を売春婦の様な女(国)とまでイタリアを使ってわめいた米国情報機関や国防総省。おかげで?メディアでは日本国は売春婦から始り、どもり、聾唖者、盲人、身体障害者、ゴールデンボーイ又はおしゃぶりやおしめを付けた赤ちゃんなどに変化していきます。世界が日本を可笑しく楽しむ分にはちっともかまわないのですが何かが私の中でこれだけではダメだと繰り返しささやいたのです

さらに日米関係は何となく男と女の人間感情関係が連想出来てそんなイメージが出来上がってきます。これは主に1992年の伊メディアが語るメーンテーマになるのでここでは書きませんが、詳しくはこのブログでは来年になるでしょう。

この米国の態度は今からでも遅くないのでよーく分析する必要がありそう。こうした戦略をう まくあしらうこつと利用するデイプロマテックでかつプラグマテイックな知恵を考える時がきていたのかも知れません。湾岸戦争中はその色々なメディアリテラシーを分類整理出来た良いチャンスでしたが、ただそれを理解分析出来る年齢にも至らず、相変わらず子供みたいで相手にならなかった、というのが日本の現実の姿でしょうか。

その後は多分徹底的に潰されるか、女中か奴隷扱い、あるいは殺される運命の様にも見えました。

後年フランスJETROのスタッフと話した時『日本は奥さんなんだから、妻らしく乱暴な夫の暴力を注意すべきでは?』と言ったら、彼は『奥さん?冗談じゃない、日本は女中ですよ、こき使われる女中にすぎない』との哀しい答えが返ってきました。これは1992年の宮沢総理時代のイタリアメディアから読み取れるので、来年書くチャンスがきます。

戦後(第二次世界大戦)から長い年月、日本人としては全く奴隷の様な関係ですが、日本は国際上は表面的には奥さん役をやらされていました。90年代は小切手を気前よくばらまく奥さん(本当は家庭内暴力夫の内妻と言うのが正しい姿)ですがそれは現在湾岸戦争から20年たった今、やっと国際社会が気がついてくれて、あちこちで言われているのですが、本当に今までどの国も気がついてくれませんでした。

湾岸戦争が何故ひき起されたか?それには1980年代のイタリアの日刊紙に書かれた日本関係記事をピックアップすれば良いのですが、いまそれをしている余裕がないので、はしょります(すいません)。

80年代の日本の経済力、治安の良さ、学校教育の成功、犯罪検挙率の高さ等どれをとっても素晴らしい状態、おまけにまだ永久就職システムの時代で、それに比例して失業者率の低さ等々これらの記事が連日と言えるほど伊日刊紙や雑誌に掲載されました。どれをとっても米国にとっては『しゃくのたね』事項です(米国だけではないかも?)。ましてイタリアメディアでは日本は米国との戦争には負けたが経済,社会構成の視点では勝者になった、とまで書いて日本は大成功だと喜ぶありさま。これらの情報は米国にとってはそうとう『カチン』と頭にくる出来事に違いありません。何せ自分が何が何でも一番強くて良い国と思い込んでいる軍事国家参謀にとっては、、

特に第二次世界大戦では米国にとって敵国同士の日本とイタリアが仲良く馬があうのが一番気にいらない、これは誰が見てもはっきりしている事です。

この頃からイタリアメデイアを使って色々な操作を始めた様です。日本のミサイル技術の探索をイタリア人記者を通じて探ったりします。丁度湾岸戦争後に種子島に行くと言うイタリア人記者に会ったのを思い出します、『種子島に何しに?何もないのに?ポルトガル人が鉄砲伝えたという歴史で有名な島だけなのに?』と尋ねると『イヤーちょっと行ってみたい』本音は日本のミサイル技術が何処までのレベル?調査でしょうか。当時種子島には東京大学がロケット発射研究している海の宿舎があり、ピョーとロケットが半円を描いてボットッと砂浜に落ちて不成功していた時代でした。私は内心可笑しくてケタケタ笑っていましたが、それを隠してイタリアの記者と話しをしなければならず、苦労したのを可笑しく思い出します。

この湾岸戦争考はづーと続けます、型を変えていつまでも、、、

もしや今も続く戦略INSIDE戦争の始りだったのかも、、、

giovedì 5 novembre 2009

ARTISTA NATO A COMISO  コミソ生まれの芸術家

コミソのアーティスト ジョヴァンニ ラ コニィアータの個展 

5 – 31 Dicembre 2009 10:00-13:00 17:00-20:00

" QUADRIFOGLIO " GALLERIA D'ARTE CONTEMPORAREA
di Mario Cucè . http://www.galleriaquadrifoglio.it/
Via SS Coronati, 13 96100 Siracusa Tel: 0931 64443

Inaugurazione sabato 5 Dicembre ore 18:00

Giovanni La Cognata ( nato a Comiso 1954)

                Siracusa

Si tratta di paesaggi di campagna immersi nella luce degli Iblei e scorci urbani. Ma non solo.
Tra le opere in mostra anche un inedito paesaggio con figure dal titolo " Siracusa " che riproduce uno scorcio di Piazza Duoma ad Ortigia, affollata da turisti ed inondata da una calda luce estiva.

               Campo giallo


               luce di marzo

L'Artista comisano torna ad esporre a Siracusa dopo tredici anni negli stessi spazi della Galleria D'Arte " Quadrifoglio " La mostra presenra tredici opere di media e grande dimensione realizzate tra la fine degli anni Novanta ed il 2009.

               paesaggio

opere : olio su tela

Giovanni La Cognata vive con la moglie Irene e la figlia Giulia a Comiso ( Ragusa ) dove è nato il 27 luflio 1954.

友人マリオの現代芸術画廊でコミソ生まれのアーティスト ラコニィアータの個展があるので紹介します。
コミソはシチリア島のなかで大きな元ミサイル米軍基地のある街です。

domenica 1 novembre 2009

ARTISTA DI CANICATTINI カニカティーニのアーティスト

ETTORE  GAZZARA    Artista di Canicattini

私の友人でミラノ( mio amico della classe '68 di Brera a Milano )で同じ美術アカデミーで学んだカニカティーニ(シラクサ)の同期生エットレの作品と家族を紹介します

自分のobjet作品を説明するEttore


彼の噴水作品の前で夫人と娘のリンダ

        

Objet di Ettore彼のオブジェ作品 卵
                  due sedie molto provocante : 
                   SEDIA DEL CHIMICO &
    SEDIA ERMAFRODITE




per Libro di poesiaこの作品は彼が ANTONINO UCCELLO (poeta nato a Canicattini Bagni, 13/09/1922 - 29/10/1979 )の詩集の為に描いたイラスト集です。沢山の作品から私が気に入ったページを撮りました。

MADRE AKREIDEA




LA NOTTE D'ASCENSIONE






これは上記詩集のイラストとは別
キリストの受難をモチーフにした作品

『 苦難の影 』
L'OMBRA DEL DOLORE





彼は他にもジュエリーの創作もしていて最近はANGLO GOLDからジュエリーオスカー受賞し、作品は日本にも巡回展示されたそうです。

Opere i gioielli : Ettoreのジュエリー作品 (collier, anello, bracciale)

Il premio è stato assegnato dalla Fiera di Vicenza,Anglo Gold, Word gold Council 2000.


il gioiello che ha partecipato al GOLD VIRTUOSI 2002 che ha ricevuto la nomination.




もともと舞台装置を専攻していたのでとても美しいネックレス、指輪、ブレスレットを制作していました。オパールで楕円形のばかでかい指輪作品を見た時『誰がするの?ソフィアローレンじゃあるまいし』と言うと、あきれかえって『今流行ってるんだよ』気の毒になってきたら,奥さんが『いいのほら私が使うからー』と自分の指にして、夫婦でかばいあってその姿がとても可愛くて,幸せなんだなーとこっちまで暖かくなった日でした。
Ettoreごめんね、、

domenica 25 ottobre 2009

GIORNALISTI & SERVIZI SEGRETI ジャーナリスト & スパイ

Ennio Caretto       日付け不詳     Corriere della Sera

Stati Uniti : per i servizi segreti sono piu utili in alcuni casi dei satelliti  

I giornalisti-007 restano nel libro paga Cia

DAL NOSTRO CORRISPONDENTE
Washington – La Cia continuerà a servirsi di giornalisti come spie, sia pure solo in casi eccezionali, nel rispetto delle restrizioni imposte nel ’77. Lo ha dichiarato ieri il suo direttore, John Deutch, l’ex sottosegretario alla Difesa, stroncando le polemiche esplose dopo un rapporto del Consiglio delle relazioni estere.
Il Consiglio aveva chiesto che, in osservanza dell’autonomia dei media, la Cia cessasse di ricorrere a loro per operazioni di spionaggio e controspionaggio. « Nel dopo guerra fredda – ha dichiarato Ddeutch – il fattore umano è diventato ancora piu importante. Contro il terrorismo i satelliti artificiali sono inutili ».
La Cia ha riaffermato cosi l’onorata tradizione dei giornalisti agenti segreti, che risale ai suo antesignano l’Oss, fondato nella Seconda guerra mondiale e sciolto alla sua fine. Uno dei piu fammosi 007 americani in Italia durante il confritto fu un giornalista, Peter Tompkins, infiltrato a Roma. E tra i James Bond britannici figurarono Kim Philby, che poi tradi passando alla Russia, e il romanziere Graham Green, distaccati inizialmente a Lisbona. Si dice che alcune tra le migliori penne USA, come i fratelli Alsop, fossero al servizio della Cia negli anni ’50.
Perché proprio i gionalisti ? Deutch ha risposto che non formano una categoria speciale, ma che hanno molta libertà di movimento, come gli uomini d’affari. E ha spiegato : « Tradizionalmente , gli agenti USA all’estero passano per diplomatici. Ma cio li limita, la maggior parte del tempo devono restare in ambasciata. E oggi oltre al terrorismo siamo chiamati a combattere la droga, il traffico di materiale radioattivo e via di seguito. Ci vuole mobilità ».
Sulla questione, il Congresso si è spaccato in due. Mentre molti democratici protestano che il gionalismo e lo spionaggio sono e devono restare incompatibili, i repubblicani ritengono che si possa fare qualche eccezione. L’ex consigliere della sicurezza della Casa Bianca Brent Scowcroft li ha appoggiati : « Il problema non sono i media – ha detto – il problema è l’efficienza della Cia ».
Il Comitato sulla sicurezza dello Stato terrà un’udienza a porte chiuse.
Il commento di William Colby, l’ex direttore della Cia durante la Guerra fredda : « In un mondo ideale, i giornalisti non fanno le spie. Ma nel mondo reale è sempre capitato. In questo i sovietici ci furono maestri. I loro corrispondenti all’estero erano in maggioranza spie ».

これは1990年代はラレプッブリカ紙にいたエンニオ カレット記者が後年コリエーレ デラ セラに書いた記事で、日付けが不明なので(日付けのヶ所が欠けてしまいましたごめんなさい)湾岸戦争後だいぶたって書かれたものだと思います。諜報員とジャーナリストの関係を少し明確に書いた記事ですが、カレット記者は主に米国の国防総省や諜報機関に詳しく、特にラングレー関連の会社情報を提供してくれます。彼のような記者がいる事がいかにイタリアの国が有利な立場にいられるか,日本人の私はよだれを出してただただ「伊は、いいなぁ〜いいなぁ」とつぶやいているのみでした、、

湾岸戦争をきっかけに世界は豹変していくのですが、その変貌の生きた証人達として直に伝えてくれたのがイタリアの強くて勇気あるジャーナリスト達でした。彼らが書いている記事からも日本の対世界状況の変貌していく輪郭が読み取れたのですからとても参考になりました。ただ日本が彼らの発信をキャッチして分析出来なかったのが、、残念。

湾岸戦争から20年近く経った今は、このイタリアの強かったジャーナリスト達が前戦から離れ、自分の考え主張を堂々と書ける記者が少なくなり、と言うか書けなくなった状況がちょっと不安ですが、イタリア人の強さできっと彼らの本来の特徴を取り戻す事でしょう。

さて上記のカレット記者は1991年の年末に私にとって目玉記事がラレプッブリカ紙に載ってますので,その時に再度登場してもらいます。

martedì 13 ottobre 2009

CINEMA E GUERRA DEL GOLFO 映画 と湾岸戦争

1991年 湾岸戦争の後に見た映画

TV RAI TRE : FUORI ORARIO ( Enrico Ghezzi )

David Lynch の短編映画 THE GRANDMOTHER が丁度1991年2月頃に 人気TV 番組 Fuori Orarioで放映されました。当時は湾岸戦争直後でイタリア人は皆夜更かしの習慣が出来上がっていたので、夜遅い番組でしたが沢山の人達がまだ起きてTVを睨んでいました。私も一緒に戦争後の習慣で真夜中すぎから始まる番組でしたが何と変な短編なんだろうとショックを受けて見つづけました。丁度日本から親戚が家に泊まりに来ていたのですが、私がこの作品をくい入るように見ているので、あきれてました。

1/5 http://www.youtube.com/watch?v=8VaI1v0CIlA

Matt Cimber
監督の AMERICAN BUTTERFLY
どの局で放映されたのか忘れましたがTVでこんな映画もやってました。何ㇴバタフライ?の言葉にひかれて見ましたが、けっこう面白かった。

1981年の作品で Pia Zadoraが非常にセクシーな少女役で成功。

http://www.youtube.com/watch?v=DxrTKVSBlq4&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=KBY1GsmzDrQ

特に印象に残ったシーンは Pia Zadora が演じる少女が オーソン ウエルズ(彼最後の出演映画になったそう)が演じる判事にハーッと息を吹きかける場面、ケラケラ笑えました。窓の外は湾岸戦争情報満杯の時期でしたから余計可笑しかったのかも
http://www.youtube.com/watch?v=Rt7kbm92Gd0

当時この映画も上映されました。
Stephen Frears 監督の RISCHIOSE ABITUDINI


好きな俳優 John Cusackが Royと言うチンピラいかさま師。彼の母親役の Anjelica Huston が Lilly の名前で大賭け事師。 Boboとか言うマフィア的な親分役も真実味大いにありけっこうおかしい。もっともストリーは可笑しくはなく、けっこう暗い話しですが、楽しめる映画です。アンジェリカヒューストンにとって一番よく出来た役では。表面は多少きわどいシーンがあますが、お金とその他諸々の事を含んで見てるととても現実的で実感があり意味深な映画。

当時、頭の中で国際関係を人間に例えて小説を書くとしたら、日本は金持ちの家に養子にきたおとなしい優秀な子。両親に異常に愛されるが青年になると親の束縛が苦しくなり逃げたい。しかし養ってくれた恩があるので苦しむ。ただ親の愛が以外と恋愛感情に近いので危険を感じ出す、、云々といつもの私の未完小説のストリーを想像したりしてたのです。そんななか日本と米国はどんな関係かなぁと想像していた時に見たので特にこの映画を面白く感じたのでしょう。


そして街では Ken Russel 監督の WHORE ( PUTTANA ) がロードショウ中。この批評記事を書いたのが私が好んで読んでいたイタリアでも一番信頼出来た映画評論家の Tullio Kezichでした。残念な事に彼は今年2009年8月に長く病んでいましたが亡くなりました。そこでこのコーナーでお別れ追悼の為に彼の批評記事の一部を載せます。

Tullio Kezich
(17/09/1928 - 17/0 8/2009)

1991年6月26日水曜日付         Corriere della Sera

WHORE ( PUTTANA ) di Ken Russell. con Theresa Russell, Antonio Fargas, Benjamin Mouton, Elizabeth Morehead. Dramm. USA '90.

PRIME FILM/ PUTTANA di Ken Russell spregiudicato ritratto d'una donna dei nostri tempi
Avventure da marciapiede minuto per minuto

Alla fine della proiezione di " Whore (Puttana)" ( il titolo riunisce la parola inglese e la traduzione italiana ) guardo i presenti e avverto la mancanza di Moravia. Mi sarebbe piaciuto sentire il suo giudizio su un film che rischia di venir liquidato come puro veicolo di scandalo ; e invece, da buon maestro in ritratti di donne perdute, l'autore di " La Romana " avrebbe apprezzato questa trucida battona impersonata con iperrealistica spregiudicatezza da Theresa Russell e cosi diversa dalle puttane del cinema. Non solo di quelle idealizzate, dalla " Cabiria " felliniana a " Pretty Woman ", ma anche della prostituta fenomenologica che Godard rappresento in " Vivre sa vie ".
(中略)
Il piu odioso è naturalmente Blake, il pappone cocainomane che si prende il 50 per cento (" E' come se ti fottessero due volte " commenta un filosofo vagabondo ) imponendole diete e ginnastica. Ma da un'amica che vuol bene e le regala " La fattoria degli animali " di Orwell, lo sciagurato la strappa col coltello in mano : in una vita venduta non c'è posto per affetti o libri. In realtà Blake ha le sue giustificazioni di sfruttatore al dettaglio in una società fondata sullo sfruttamento all'ingrosso ; e in un contromonologo alla " Monsieur Verdoux " il regista gli consente di esprimerle e di inveire contro fabbriche, borsa e uffici di collocamento.
Urlato e massimalista, il messaggio è da brivido : un tributo di sangue è lo sbocco inevitabile della violenza che si annida nei gorgo del peccato. A un sesso che mostra solo questo aspetto infernale verrebbe spontaneo rispondere facendo voto di castità.

*All'Arlecchino di Milano e all'Ariston di Roma.

湾岸戦争欠席が原因で米国政府関連は気が狂ったかの様に世界に向かって日本を罵倒し屈辱する事をメデイアに流します。
そのうちに日本を「金(経済)の為なら男(国)を選ばず誰とでも寝る(国交)、売春婦の様な女(国)』とまでわめき。おかげで?伊メデイアでは日本国は売春婦だと伝わります。その様子が少し異常なのにジャーナリスト達は気がつき始めました


P.S 11 novembre 2011 Ken Russell è morto :

The whore (full film)
http://www.youtube.com/watch?v=shkL6hriOsc

sabato 10 ottobre 2009

CANE & GATTO   犬 と 猫



の関係 いつから世界は犬派と猫派に別れ始めたのだろう湾岸戦争時からか?


New York の店で売っていた 犬と猫のチェス









当時この1989年の映画が伊TVで放映されていて面白く見ました。

" Harry ti presento Saly "  (恋人たちの予感) 犬と猫の関係
http://www.youtube.com/watch?v=W6SpNBVjYA4





Paris にある猫のグッズ専門店






パリ には「猫通り」と言う狭いそれこそ猫用の有名な路がある。







犬をペットにするフランス人やイタリア人は多い、ただその後始末をちゃんとする人が少ないな。日本人なら真面目にやってる砂や土とビニールサック持参で散歩する事が出来ないでいる、、パリも犬の糞にうんざりし、昔住んでいたヴェネッツアでもひどかった〜私は最近引っ越しをして今はシチリア島のシラクサにあるオルテイージャにミニアパートを借りて住み始めたけど、ここも大きな犬を持ってる人は平気でさせっぱなし的なとこがある、、残念だな〜 とても奇麗な海と遺跡の面白い島なのに

この引っ越しのどさくさの中ですっかりこのブログの更新が遅れてしまい読みに来てくれる方に申し訳なく思っています。ゴメンナサイ最近はこのブログ上であやまってばかりいますが、サボッテいるわけでもないのです、ちょっと考える事が沢山あるのは確か、、

それでフランスから又イタリアに戻ったわけですが、、どうもやる事が多く、、うまく運ばず、、未だに家にはインターネットが無い状態です。友達も協力してくれますが、、何せ工事人が何度も来ては、ただ帰っていく、、てな状況。これからは当分フランスのパリとイタリアのオルテイジャ間を往復する生活が続くでしょう。

とりあえず更新的なものを残して言い訳、、皆さん元気で秋又冬を迎えましょう、、シチリア島のここシラクサにあるオルテイジャ島はまだ暖かですが、何とか明日はインターネット工事人が来てくれるといいな〜 果物や野菜、魚が美味しくて安い街なので多少の不便はがまんするか、トホホ



domenica 27 settembre 2009

Metafora Giapponese   アリ や baby  

la Repubblica  1991年5月17日付 金曜日
politica estera       
Edith dichiara " guerra " ai giapponesi
" Sono troppo protezionisti l'Europa ora deve reagire"
Parigi の特派員Franco Fabianiの記事 Il nuovo primo ministro francese Edith Cresson giunge e palazzo Martignonと書かれたクレッソン新首相の写真

....." perché la potenza politica della Francia rischia di indebolirsi per mancanza di una mobilitazione industriale". Fin d'allora diceva che " la Francia non conduce la guerra economica che dovrebbe" e che " nel paese esiste una assenza totale di volontà politica per mobilitare le forze che esistono. I suoi punti di riferimento sono gli stessi di allora : la Germannia per il suo potere economico, il Giappone per la sua supremazia tecnologica. Alla Francia quindi il compito di darsi un potere industriale per competere con la Germania e sbarrare la strada al Giappone.
(略)

上の記事が載った下段には次の記事も、タイトルのみですが、、
Perplessità anche in Germania nella Cee
Preoccupazione a Tokyo " E ' un'avversaria temibile " (略)                 
 
日本人として、、、どういうこっちゃ !!? Formiche & Giapponesi
当時マダムクレッソンの『日本人はアリ』発言からメデイアにはありんこのニュースが溢れ出す

  
これがニュースなの?          


片足のアリに世界一小さいネジの義足を付ける手術に成功。



          
                    
ART  大きなアリ あるパリの展覧会にて              

でかいアリを描く

これが芸術作品なの?




               Bambini


これは広告 ! 写真のこなまいきなガキがおかしい.

Il talento nei bambini Come riconoscerlo, come si esprime,
come si affina.


なんだかね〜 いいかげんにしちくれ〜 そして、日本にとってのとどめはこのコピーライト

IO C'ERO, TU NON C' ERI と言われて(湾岸戦争欠席の為)イタリアメデイアでからかわれたのです、くり返しTu non c'è l'hai ! Io c'è l'ho !   とかも、、

日本のある一流メーカーSが当時これに近い宣伝文句を使いましたが、わざわざ自分で自分の国がからかわれているキャッチコピーを使わなくても、、と長い間心の中で嘆きました。

SPOT ITALIANO
http://www.youtube.com/watch?v=JvdMHAwXzBY&feature=related


venerdì 18 settembre 2009

COMPAGNI DELLA CLASSE   クラスメートと自己紹介

AMICI ed Io !! 友達と私  Incontro dopo tanti anni !!

私がこの夏久しぶりに、昔大学を出て留学したMilano美術アカデミーBreraのクラスメートを訪ねて、再び SRACUSA に遊びに来ました。40年後に再会した同期生の友達、それぞれの夫人達も一緒に海の家でPizzata, ハイその夜のグループ写真の一枚。後日にクラスメート達の活躍を紹介します。エットレとアルベルトは美術学校で教授になりまだ教えています。


上の写真は右からMARIO CUCE と私IZUMIそして彫刻科のALBERTO BAIO 舞台装置科のETTORE GAZZARA



上はSIRACUSAでのスナップ写真。下はNEW YORK、MOMAにてお気に入りの作品と。


これが私、このブログを書いている本人italianoizumiです。去年このブログを書き始めた時は多少怖かったので名前等は出すつもりは全くありませんでした。慣れないブログに挑戦して当初は12歳の少女のノートブックにして書くつもりでしたが、その案はすぐボツにしました。

そのうちに年月が経ち、それぞれの国の首相や大統領が変わってきました。この一年間あちこちのブログを訪ねると私よりずーと真面目にレポートを書いてる人達が沢山いるのに気がつき、その人達は名前を出して実に危険な文を勇敢に書いているのでびっくりしました。私のメモは自分なりに頑張って集めているつもりで、又けっこう路線からはずれて書いてるつもりですが、やはり時々怖くなるのです、のんきなのにおかしいと笑われるでしょうが、
ほんと、、

コメントは挿入しません、何故なら私は全く独りですし、気になるすごい批判のコメント等が届いたらとても耐えられるとは思えない、すぐめげちゃう方なので、、

このブログにつきあって下さり、ありがとうございます、これからもどうぞ宜しく。

mercoledì 9 settembre 2009

INCONTRO REMOTO E D'OGGI 遠き過去と又巡り会う

遠き過去に出会い、今又めぐり会う不思議さ、何処かで、出会ったのか、、


日本では古くから使用した籠目紋
(私のアメ入れかご)
六芒星の紋でもある

気の遠くなるほどの過去に、、

憶えていないが、


         
                  古い日本の三つ柏の家紋 

    




シラクサの教会にあった聖母を乗せる神輿     日本の神社の神輿





ヒラクティリーを付けた鳥(拡大)





                      大豊神社の狛鳥



八咫烏と日本の神社にある頭巾を付けた鴉天狗の数々







        
 

      
                       大山鴉天狗 






卍 esiste piu di 3000 anni, epoca moderna un pazzoido schizofrenico austriaco che ha utilizzato per suo partito...

Sacro segno per Buddisti...simbolo della fortuna...ora ridateci !!! 

吉祥と幸運の印であって寺院の示しにもなっている 。近代にドイツで何処かの精神病患者が自分の党にこのデザインを採用したのが運のつき、欧州ではハリウッドの誇張もありすっかり最悪の印に成り下がってしまった、、、そろそろ仏教徒が抗議し歴史上の早いもの勝ちの例として本来の意味の権利を取り戻す時が来たのでは、、、

sabato 29 agosto 2009

NUOVI AMICI di ORTIGIA オルティ–ジャの新しい友人

" LA CAMBUSA " ristorante siciliano e giapponese

友達のNaoko奈緒子さんとMario夫婦が経営するシチリア島のシラクーサ

オルティージャにある美味しいレストラン「ラ カンブーザ」をご紹介。
住所 Via delle Carceri Vecchie,12 Siracusa 96100 Sicilia 
tel : 0931 465707
cell 携帯 : 393 5936445 
サイト www.terradisiracusa.com
連絡先 info@terradisiracusa.com

P、S 新住所
Passeggio Aretusa, 9  96100 Siracusa   TEL : 0931 465707            lacambusa-siracusa.it

なおこさんとマリオの1日は早い朝市から(お魚の新鮮なのは日本ではおなじみなので略)手作りチーズ屋さんによりましょう、はい、生チーズリコッタのロースト?です、色々な種類がいっぱい




Naoko とおなじみのチーズ屋のおっちゃんと


若武者の様なNaoko自宅の台所でパッキーノトマトをバージンオリーブオイルでばくばく食べる用意中、私は口を開けて待ってるところ


夜8時からレストランの開店、どれもおすすめしたい特徴のある美味しいものぞろい。

メンバーはいつもの Ortigia お笑い3人組  Izumi, Mario e Teresa.




ウニをちらしたリングィーネを食べました、モーおいしい事、新鮮な事勿論、お寿司やお刺身、おまけに天ぷらも皆美味しくぺろっと...

なおこさんとスナップ           伊人のシェフと

   



ご主人のマリオどう見ても大学教授それも哲学科分野(愛嬌あるサービス係で商売繁盛確実) 二人のマリオが交差




美しいきものや扇子が展示  シチリアワインも豊富に揃って


     


楽しく海の幸を堪能しつつ、刺身に舌づつみ、何て贅沢...



  


海からのそよ風が揺らぐ中、広場では何やら賑やかな音楽が、私はこのオルティージャが大好きなのでとうとうミニアパートを借りて1年位暮らす事にしました。






はい、これが今年の真夏の夜の夢の出来事です。


♡♡