mercoledì 6 agosto 2008

BOMBA ATOMICA DI HIROSHIMA   広島原爆の日

PRIMA E SPERO ULTIMA BOMBA ATOMICA A HIROSHIMA
1945年8月6日 原子爆弾で広島空爆 

1960年代後半からイタリアTVには日本アニメはお正月が出番、必ず毎年日本の劇場用アニメを放送してくれました「シンドバッドの冒険」「白蛇伝」「アリババと47匹の猫?」等そして70年代初期に「山の少女ハイジ」がデビューして 爆発的な人気で高い地位を獲得、それ以来現在まで雨にも風にも負けずに変わらずに日本アニメを継続して放送し続けてきました。(道中様々な批判等横槍が多方面から入りましたが放送担当者達は耐え続け、イタリアの次期世代の心をつかむ事に成功しました)

同様に毎年伊で必ず見られたニュースは「新年の出初め式で火消のはしご登り」「札幌の雪祭り」そして「8月6日広島原爆の日」。

ただし、、、この湾岸危機(1990年8月2日イラク軍がクエート侵入)が始まり(1991年1月17日米国のバクダッド空爆)からの数年、そしてその後の10年等、日本という国は発音してはいけない国になって行きます。残念な事に湾岸戦争中は広島原爆の日は故意に無視され、この時期から日本の事は少しづつ禁句になり始めました、、、しかたなくメデイアや人々は「あの国」とか「何処かの国」とかと言って意思疎通の波間を動き始めました。何せ金持ちのアンクルが嫌な顔で激怒するわ、仲間割れもありで、、苦難苦節の道。

1990年の過去を書いてる中で未来年2008年8月6日を前にこんな記事と写真がレプッブリカサイトに発表され、、、ヴィットリオ ズッコ―ニ記者の勇気に尊敬しつつもビックリ。

Vittorio Zucconi    la Repubblica.it

1945年に米兵Samuel Cappが母国帰国の前に日本の洞窟内の死者の所持品をフィルムのまま持ち帰り、後に現像されスタンフォード大学に保管されていた広島空爆(原子爆弾)直後のシークレットフォト。2008年まで公開禁止命令を受けていた写真で、 Mercedのカリフォルニア大学、 Sean Malloy教授が探し出し発表された物、等の記事と共に、、
      
FOTO SEGRETO: HIROSHIMA BOMBA ATOMICA
ただ以下の写真が偽か否か自分で判断して下さい。イタリアジャーナリストの勇気とその人間性、自由さにevviva italia。あの自然地震だった関東大震災と混合した原爆写真とも?
今の原爆は数千倍の威力、弊害、副作用を持っている。原爆ミサイルや自然天災でない地震、竜巻,突発豪雨等が襲って来た時、、、2008年はその被害の根本的回避対策を考える時、この写真の死者達はそれを知らせる為に今かえって来たのでは、、


















































今私はバクダッド空爆の時期を書きこんでいる最中、クエートハイウェイ路上で逃げるイラク軍兵士が劣化ウラン爆弾等で黒こげになった写真とがクロスして複雑な気持。
(この時の状況報告写真を見たブッシュ父が涙ぐむ、、と伊のニュースは伝えた、一般人には見せられない残酷な写真が他にも沢山あったのだろう、、、)もっともその後この死体の後始末は国連衛生機関の担当ハイエナの役目とか(当時は日本が担当)どこまで続くぬかるみ、(米国政府広報関係者はあの湾岸時代は影で毎回シャンパンで乾杯を続けていたのでは、、)

歴史学者Maurizio Brunori は著書「日本」Storia e civiltà del Sol Levante に日本は世界で一番文明が発達した国と書いていた。

今「国家」とか「国益」とかが頻繁に叫ばれている、、そうなんだろうか?それは近代文明の中で国家概念の歴史が浅い国が落ち易い罠なのでは?、、それが過ぎると、世界中の民の方を基盤にした考えの方が何かしっくりくる、そんな時代がやって来るのでは、私にはそんな気がしてならない、夢かな?