domenica 31 agosto 2008

Sigla Italiana  夏だ歌おうアニメ シグラ イタリアーナ

♪あ〜なつかしSigla Italiana ai nostalgici ♪Anime Giapponese ♬

Lady Oscar
http://www.youtube.com/watch?v=Os9IakD5NOw&feature=related


Daitan 3

http://www.youtube.com/watch?v=_dRn6HH2A1Y

I Cavalieri dello Zodiaco

http://www.youtube.com/watch?v=_M9rMvVCQ3k

Ken il Guerriero
http://www.youtube.com/watch?v=-lcJ7Fo74Q8

Sampei
http://www.youtube.com/watch?v=9TrcgCgwKMg


Gigi la trottola

http://www.youtube.com/watch?v=MIcGOwgKu48&feature=related

これらはほんの一部、まだまだ沢山の懐かしいイタ日アニメソングがいっぱいある。これを歌いながら育った子供達は大きくなり、チャンスをつかみ憧れの地 Nipponに飛び立っていった。

イタリアに帰ってきた人達は、私が教えた日本語は古く(ヒエーッ流行ことばが激しく移り変わる国だ〜)駅名の看板は日本語とROMA字では無く韓国語や中国語があって混乱?と苦情があった。

言われた時は何の事か分からなかったが、先年、うん十年ぶりに里帰りして、アッ ! とあっけにとられた。何と駅名や駅の案内に日本語と韓国語や中国語がごちゃごちゃ並んでいる、そんな物は昔 無かった、、、何で? 

駅名は日本語とROMA字、表示は日本語と英語で充分なはず〜

ある時、日本でTVのCMに「日本には停電はない、、」?変なキャッチコピー、、その3日後に大きめな停電がおきた。ここにも何時もは何処かに隠れていて、何かの時にわらわら現れる別種の蜘蛛の子がいっぱいいるんだな〜 あれこれ暫くぶりの故郷は「何故」ばかり。

プラットホームで日本語のわきに韓国語と中国語が並ぶ駅名をじーと見ながら悲しくて(ここは日本なのに、、と)独り沈んだ。

♪allora cantiamo insieme " coràggio italia & giappone♪"♬

(you tube期限切れになってたらゴメンナサイ)

venerdì 15 agosto 2008

MICHELE SANTORO   ジャーナリスト戦士

事実と言うパズルを組み合わせ真実の絵図をあぶり出す追求姿勢

ミケーレ サントーロと東京裁判
1980年代ミケーレ サントーロに初めて「ん?この人、誰?」と気がつき、記憶に残っているシーンが幾つかある。大分昔に映画「東京裁判」がRAI TVで放映された時に映画の後のトークメンバーの一人として「自分は通りすがりの普通の人間だが、言わしてもらうと」と前おきして話し出したのが新鮮だった。欧州では今気ずかれ始めているが、当時既にサントーロは「インドの弁護側から言われているがこの日本の戦争はアジアの植民地解放戦争だったのでは?」の問いに出席者の日本人弁護士は「いや、経済侵略戦争の一種でした」と苦笑しながら答えていた。サントーロは日本の大東亜戦争の勝者側からでない事実を模索していた、この彼の真剣な姿勢とイメージが私の脳裏に未だに焼き付いている。これが私がミケーレサントーロを知った時だった、同じ様に日本の映画「東京裁判」を見たのも初めてだった。思うにあの頃から彼の事実と真実を追求する姿は、変わりなく今に続いてるんだ、、感動。


MICHELE SANTORO & SAMARCANDA    湾岸戦争編

今も続く彼の人気トークショウTV番組のうち 湾岸戦争時代の ピークとも言えるのが SAMARCANDA 。この番組の中で1、2回あった湾岸戦争賛否論争。出席者は米国軍事戦略評論家Edward Luttwak , 日本に住む米国人Clark、在イタリア米国大使 Peter Secchia 等がそれぞれの意見で活発な論争をした。この出席者と共に他の人達も交えて湾岸戦争の正当性が審議され、この回は当時の番組の中でも非常に有益な湾岸戦争是非討論が交わされたので、TVトーク番組史に残る秀作と思える。

ただ私がピックアップするのは可笑しかったショットのみ、、すいません。

クラークが「自分の国アメリカは日本と同じく島国だ」に、サントーロの言葉「何、言ってる!アメリカは島ではない、あれは大陸と言うのだ !」に思わず吹き出した。Clarkは「アメリカでは貧乏家庭の若者は勉強を続ける為に軍隊に入る、だから貧乏人ばかりが戦争に駆り立てられる」と戦争NO組、当時はイタリア人にとって貧乏なアメリカ人は想像しにくく半信半疑の雰囲気がスタジオにあふれた。いわゆるRICCO ZIO AMERICANOアメリカの金持ちおじさん、が当たり前と思われていた。

米国軍事戦略評論家のサデステイックともとれるEdward Luttwakの言葉に耐えつつ、彼の米国側戦争正当論を聞かなければならず、いやーな感じでTVを見ていた、当時日本は戦争不参加だったので出席者達から尊敬されていた、そのイライラからか話の途中で「米国は日本製の新しい戦車を使用してるがこれがなかなかいい性能だ」「ん?」サントーロすかさず「そんなはずはない !」確かに、私も初めて聞く、いつから日本はアメリカの為に戦車を造っていたのだ?そんな馬鹿な、、日本は軍事品は鉄砲の玉一つさえ輸出してない、と聞いている、この言葉にはビックリ、おまけに意地悪じいさんみたいなLuttwakが言うのでよけい嫌がらせ的。

在イタリア米国Peter Secchia 大使は後に私的な事だが、任務が終わり伊を離れる時は家族皆で船で日本に寄ってその後帰国すると話していたのが何故か印象に残っている。他局の番組にもイタリアにいる米国人が蜘蛛の子みたいに何処からか、わらわら現れ、この民間人が米政府の主張を口を揃えて唱える、何でそんなに連帯するのか不思議、しかも良く揃えてある。もち、日本人は何処にも皆無。

この時のサマルカンダへの出席者は紙とかのあんちょこを見てはだめ、という約束で自分の口からでてくる言葉のみ、でお互いに討論し合った。この放送番組の資料videoを探したが見つからない、残念。


1991年著書 “Oltre Samarcanda” をSperling & Kupfer 社より出版

その後彼はジャーナリストBIAGIと共に当時のBerlusconi政府を批判、首相の御機嫌を損ねRAIから一時期、日干しにされた事がある。


いい加減とか数字が違っても平気等とイタリア人にケチをつける人がいるが、どんな圧力を受けても怯まないこのイタリアジャーナリストの、戦士の様な頑丈な意思で権力に抵抗する姿は数字や小さな正確さよりずーとすごい。

venerdì 8 agosto 2008

RAPSODIA D'AGOSTO   8月のラプソディー

RAPSODIA D’AGOSTO (8月の狂詩曲)&
IO TI SALVERO(白い恐怖)

2つの映画 巨大な監視の目玉

1991年のカンヌ映画祭に黒澤明監督 Rapsodia d’Agosto (8月の狂詩曲)が招待されリチャードギアが来るかなと期待(内心はポリテイカルメンテ来るはずがないと諦めてはいたけど)何せ米政府広報がカンカンに腹立てて狂っていた時代だから、、


反面1991年度に発表には抜群 グッド ポリティカル タイミングさすが天皇、国際政治感覚が冴えていた。
特に面白かったのはTV NEWS でこの映画の紹介をしている RAI TG女性アナウサーの背景にニューと原爆きのこの巨大な目玉がジローと伊ジャーナリストを覗いてるショットが映り、、、彼女ぎょっとしていた、これは傑作メッセ―ジ。
         黒澤天皇〜目的達成で〜す。

1991年の時代は何処からか横槍バッシングがあった様ですがイタリアでは好評、今ではブログが発明されイタリアの映画好きに相変わらず高い評価を受けています(天皇見て下され、貴方を愛したイタリアの人達の高評価コメントが天国へ届きます様に)。



もう一つ面白いのは私が大好きなグレゴリーペックとイングリッドバーグマン共演1945年のヒチコック監督映画「Io ti salvero」(白い恐怖)が古い映画にもかかわらずこの1991年の時期にTVで放送され、敗戦後の日本人のトラウマや湾岸戦争で再発した感情に多極面で共通し感動的、この映画の装置にダリが描いた大きな監視の目玉のシーンが出てきます。1945年と1991年の目の主は違うのでしょうか(タイトルは白に人とか光を付けると分かり易い)ただコンテンツは共通なのでは、、




http://it.youtube.com/watch?v=NHpMAvy71rA

この二つの映画に共通の巨大な灰色の目玉のモチーフが今も目に焼き付いて離れない、、黒澤巨匠が表現したかったそのものズバリ、、、この目玉でいつまでも苦労します、、




mercoledì 6 agosto 2008

BOMBA ATOMICA DI HIROSHIMA   広島原爆の日

PRIMA E SPERO ULTIMA BOMBA ATOMICA A HIROSHIMA
1945年8月6日 原子爆弾で広島空爆 

1960年代後半からイタリアTVには日本アニメはお正月が出番、必ず毎年日本の劇場用アニメを放送してくれました「シンドバッドの冒険」「白蛇伝」「アリババと47匹の猫?」等そして70年代初期に「山の少女ハイジ」がデビューして 爆発的な人気で高い地位を獲得、それ以来現在まで雨にも風にも負けずに変わらずに日本アニメを継続して放送し続けてきました。(道中様々な批判等横槍が多方面から入りましたが放送担当者達は耐え続け、イタリアの次期世代の心をつかむ事に成功しました)

同様に毎年伊で必ず見られたニュースは「新年の出初め式で火消のはしご登り」「札幌の雪祭り」そして「8月6日広島原爆の日」。

ただし、、、この湾岸危機(1990年8月2日イラク軍がクエート侵入)が始まり(1991年1月17日米国のバクダッド空爆)からの数年、そしてその後の10年等、日本という国は発音してはいけない国になって行きます。残念な事に湾岸戦争中は広島原爆の日は故意に無視され、この時期から日本の事は少しづつ禁句になり始めました、、、しかたなくメデイアや人々は「あの国」とか「何処かの国」とかと言って意思疎通の波間を動き始めました。何せ金持ちのアンクルが嫌な顔で激怒するわ、仲間割れもありで、、苦難苦節の道。

1990年の過去を書いてる中で未来年2008年8月6日を前にこんな記事と写真がレプッブリカサイトに発表され、、、ヴィットリオ ズッコ―ニ記者の勇気に尊敬しつつもビックリ。

Vittorio Zucconi    la Repubblica.it

1945年に米兵Samuel Cappが母国帰国の前に日本の洞窟内の死者の所持品をフィルムのまま持ち帰り、後に現像されスタンフォード大学に保管されていた広島空爆(原子爆弾)直後のシークレットフォト。2008年まで公開禁止命令を受けていた写真で、 Mercedのカリフォルニア大学、 Sean Malloy教授が探し出し発表された物、等の記事と共に、、
      
FOTO SEGRETO: HIROSHIMA BOMBA ATOMICA
ただ以下の写真が偽か否か自分で判断して下さい。イタリアジャーナリストの勇気とその人間性、自由さにevviva italia。あの自然地震だった関東大震災と混合した原爆写真とも?
今の原爆は数千倍の威力、弊害、副作用を持っている。原爆ミサイルや自然天災でない地震、竜巻,突発豪雨等が襲って来た時、、、2008年はその被害の根本的回避対策を考える時、この写真の死者達はそれを知らせる為に今かえって来たのでは、、


















































今私はバクダッド空爆の時期を書きこんでいる最中、クエートハイウェイ路上で逃げるイラク軍兵士が劣化ウラン爆弾等で黒こげになった写真とがクロスして複雑な気持。
(この時の状況報告写真を見たブッシュ父が涙ぐむ、、と伊のニュースは伝えた、一般人には見せられない残酷な写真が他にも沢山あったのだろう、、、)もっともその後この死体の後始末は国連衛生機関の担当ハイエナの役目とか(当時は日本が担当)どこまで続くぬかるみ、(米国政府広報関係者はあの湾岸時代は影で毎回シャンパンで乾杯を続けていたのでは、、)

歴史学者Maurizio Brunori は著書「日本」Storia e civiltà del Sol Levante に日本は世界で一番文明が発達した国と書いていた。

今「国家」とか「国益」とかが頻繁に叫ばれている、、そうなんだろうか?それは近代文明の中で国家概念の歴史が浅い国が落ち易い罠なのでは?、、それが過ぎると、世界中の民の方を基盤にした考えの方が何かしっくりくる、そんな時代がやって来るのでは、私にはそんな気がしてならない、夢かな?